ノンフィクション「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」感想

 仙台の地元新聞「河北新報」の記者たちが、東日本大震災の中でどのような経験をし、東北の人達をどのように励ましてきたかを記したノンフィクション。それを通し、あの大震災の中、ジャーナリズムの役割とは?意義とは何だったのか?を問い直してくれる。

 もちろん答えは無い。でも、答えのない問題を提起してくれるのがノンフィクションなのだろう。

 

 現場にいる記者たちは、自分たちも被災しているために自社制作で新聞発行できなかったのだけど、提携を結んでいる新潟日報の手を借りて、3月11日当日夜の号外、翌日3月12日朝刊を発行した。地元以外の人間からしたら、全国紙があるんだから、無理に地元紙が頑張って発行しなくても、、、と思ってしまうのだけど、地方新聞記者には彼らのプライドがあるのだ。

 それに、被災した人達にとっても、「河北新報が無事なら自分たちもふんばれる」という安心感を与える上でも重要だったのだろう。地震の翌日くらいからラジオや全国紙は福島第一原発の報道メインになっており、宮城・岩手被災地で今何が起こっていて、何に困っているかを中心に知らせてくれるメディアとして、河北新報だけが頼りだったらしい。

 そしてこれは結果論だけど、地元新聞だからこその親近感・気遣いの感じられる記事が紙面に載っていたため、全国紙とは異なる視点で、後世への歴史記録媒体として貴重なものとなった。

 

 とはいえ、その場で懸命に取材していた現場記者たちは、困っている人たちを直接助けてあげられないことの無力感を、ずっと感じることになる。

  • ヘリコプターで空撮取材中に、石巻の小学校屋上で避難した人達がSOSという文字を書いているのを見つけても、何もできず泣きながら「ごめんなさい」と謝る姿。
  • 福島支局の記者が、原発近くから避難せよという指示と、今こそ取材すべきじゃないかという使命感との狭間で葛藤し、新潟へ避難したり福島に戻って取材したり何度か行き来した後、一度でも現場から逃げた自分を許せず、会社を退職したというエピソード。

ジャーナリズムの無力さを感じさせられることも、この本には記されている。

 

 報道とは、何が起きたか・何が起きているかを、今暮らしている人に伝えること、そして後世に残して未来の人達の役に立てること。

 この本を読んで、新聞記者という仕事の尊さ、そして苦労や苦悩をいくらか知ることが出来たような気がする。