新書「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」

劇作家 平田オリザさんの考える「コミュニケーション」についての新書。

 

平田オリザさんについては全然知らなかったのだけど、映画「幕が上がる」で、ももいろクローバーZの5人を演技指導した人ということで、興味を持って読んでみた(映画も小説もとても面白かった)。

 

本の内容は、

  • 現代の社会人に求められている「コミュニケーション能力」に関する矛盾点
  • 平田さんの取り組んでいる、学校の授業に演劇を取り入れることの意義

などから、教育改革論や、日本語論から始まり、「人間らしさとは」みたいな哲学的な話、今後の「日本人のあり方」論まで、だんだん話のスケールは飛躍しつつも、斬新かつ論理的で情熱的な主張だった。

 

この本の前半、まず最初に目からウロコだったのは、企業が社員に対し、

  • ある時は「周りの意図を察して機敏に行動する」「空気を読んで発言する」「和を乱さない」能力
  • また別の時は「異なる価値観を持った人に対しても、しっかりと自分の主張を伝えることができる能力」「異文化理解能力」

の両方を求めており、これらの相反する二つ能力を「コミュニケーション能力」と一括りにして呼んでいる。つまり、「企業が会社員に求める『コミュニケーション能力』はダブルバインドである」という主張。

 

どちらかだけ得意でもう一方が苦手な人は、「コミュニケーション能力」が高いと言えるのだろうか。そろそろ企業も、「コミュニケーション能力」という曖昧で人によって解釈が異なる単語は使うのをやめて、それぞれ別の名前を付けて呼んだ方がいいんじゃないだろうか。

 

その他、印象に残った内容

  • 「国語」という科目は、その歴史的使命を終えた。「国語」を、答えの無い科目「表現」と、答えのある科目「ことば」に分けるべき。
  • 医者の卵も、大人になるまで身近な人の死を一度も経験していない学生が珍しくない。また、いじめのロールプレイなどを通し、他者の感情により共感することができるようになる。だから、「演劇の授業」というフィンクションの力を借りて疑似体験することが効果的。
  • コミュニケーション能力、異文化理解能力が大事だと世間では言うが、それは別に、日本人が西洋人、白人のように喋れるようになれということではない。欧米のコミュニケーションが、とりたてて優れているわけでもない。だが多数派は向こうだ。多数派の理屈を学んでおいて損はない。
  • これまでの日本は、単一民族国家で同一価値観の人達の集団だったが、豊かになった現代では、多様化して人それぞれ異なる価値観を持つようになってきた。だから、周囲の人間と分かりあえるはず、という幻想は捨てるべき。逆に「わかりあえないこと」が当たり前で、その中から分かりあえる部分を探っていく、という考え方が大事。