大和ミュージアム
週末、大学時代友人に会うため広島へ行ったついでに、前から行きたかった呉の大和ミュージアムへ。
まずは、10分の1サイズ(全長26m)の戦艦大和。その迫力と精巧さに圧倒された後、特別展示「日米最後の戦艦展 戦艦大和とミズーリ」で、ミズーリ艦上で行われたポツダム宣言調印などについて学ぶ。
続いて常設展示
など、盛りだくさん(とても2-3時間では観終わらなかった)。
特に戦艦大和撃沈の展示では軍人さんたちの無念さを感じ、やるせない気持ちにさせられた。
なぜ彼らは、世界最高の戦艦を持っていながら、それをうまく生かせず、引き際を誤ってしまったのか?
後世の僕たちは、そのことを考え続けなくてはならないのだと思う。
大和ミュージアムを観て感じたのは、反戦一辺倒でもなく、帝国海軍を美化しすぎたりもせず、当時の日本の優れていた面(勤勉さや技術力)は誇り、愚かだったこと(戦略の無さ・国民の命を軽く扱う点)は反省するという、一つ一つの事実を個別に評価しているというところ。
たぶん戦史博物館というのは、イデオロギー無しに作るのは難しいのだと思うのだけど、名誉館長が「昭和史」著者の半藤一利氏だけあって、バランスの取れた展示だったのではないかと思う。
僕自身、子供のころから、戦争は絶対してはいけないという気持ちと、戦艦やゼロ戦を単純にカッコいいと思う気持ち、両方を持ってしまうことに罪悪感のようなものを感じがちだったのだけど、それぞれの感情に正直に従っていいんだと改めて感じることができた。
今回は家族は連れてこれなかったので、またいつか子供を連れて来たい。
新書「小さな『悟り』を積み重ねる」
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/11/17
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アルボムッレ・スマナサーラさんというスリランカ上座仏教のお坊さんが書いた「生き方」についての本。
人に紹介されて読んでみたが、仏教の教えを、現代日本の言葉・文化を使って説明してくれており、まあまあ分かりやすかった。
例えば、決定的で変えることのできない「運命」は仏教では否定しており、あるのは「業」という考え方。
「業」とは与えられた基本的な性格を作るものであり、パソコンのOSのようなものらしい。
OSは修正することはできないが、その上に載せるアプリケーションにより、そのパソコンで何ができるかが変わってくる。
もし、アプリケーションが気に入らなければ、別のものに乗せ換えれば良い。
つまり、人には向き不向きがあって、それぞれに合ったアプリケーション(生き方)を選ぶことで、人生の幸不幸が決まる。だから、今の生き方が合わないと思ったら諦めて別の道を探しても良いんだという心構えを持つことで、楽になれるということだと思う。
その他、述べられているのは、以下のような「悟り」への第一歩のための考え方。
- 長期間の計画・目標を立てるのはやめて、「今」という目の前のことに全力で取り組むこと。そして「今」が瞬間になることが「悟り」
- ギブ&テイク(自分が得しようとして奪い取る)ではなく、ギブ&レシーブ(お互いに与え受け取りあう)の利他の精神が大事
- ポジティブシンキングは現実逃避になり、ネガティブシンキングは悪い面しか見ようとしない。より建設的に「どんな対応をすればよいか」「自分が成長するにはどうすればいいか」を考えるプログレッシブ(前進)という姿勢・考え方をすべき
- 仏教の「中道」は両極端の考え方の真ん中という意味ではない。両極端にあるAとBを超越した道
これらの考え方は、まだまだ自分には実行に移すのは難しそう。
特に、計画・目標を立てるなとか、臨機応変な行動の出来ない、今の自分にはとても無理。
新書「荒木飛呂彦の漫画術」
- 作者: 荒木飛呂彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/04/17
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- キャラクター
- ストーリー
- 世界観
- テーマ
確かに、ストーリーは破綻しているのにキャラクターだけ人気がある漫画、世界観は詳細に作り込まれているけどストーリーや主人公の内面はあまり描かれていない漫画も世の中にある。でも、後の世に残る名作漫画というのは、これら全てがバランス良く成り立っているとのこと。
福岡市博物館「大関ヶ原展」
8/14(金)
福岡市博物館「大関ヶ原展」へ。
(ヤフオクドームで西武戦を観る前)
など盛りだくさんで、やっぱり全部観るのに2時間以上かかり、一緒に行った長男をやや退屈させることに。
(野球を観るために博多に連れて来てもらっているので、長男も文句は言わない)
展示を観て改めて感じたのは、関ヶ原の戦いは「日本が東軍と西軍の真っ二つに別れて争った戦」という単純な出来事ではなく、各大名それぞれが、忠義・友情・損得勘定・恐怖などのいろんな感情が働いた上で起こった、歴史という物語の中の流れの一部なのだということ。
そういう細かな知識(あまり実生活や仕事には役に立たなないが)を得るところが歴史の面白さだと思うのだけれど、なかなか身近な人からは賛同を得られません。
あと、僕は、最初に読んだ司馬遼太郎の小説が石田三成が主人公の「関ヶ原」だったこと、山口県出身(毛利氏)であることから、西軍の方に肩入れしがちであり、正直、東軍にはあまり詳しくないので、もっと徳川方の大名や武将のことも広く知りたいと感じた。
小説ふくわらい」感想
- 作者: 西加奈子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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鳴木戸定(ナルキドサダ)という、一般人とは違う感性を持った女性編集者の話。
どんな風に感性が違うかというと、
・普通の人の感情が理解できずロボットのような言動をする。
・ふくらわいのように人の顔のパーツを頭の中で移動させる性癖がある。
・出版社ビル屋上で呪文を唱えて雨乞いをする。
みたいなこと。
それだけだと、まあ変わった人だねで済むのかもしれないけど、この小説の主人公が一線を越えているのは、「人肉食」経験があるということ。
読者には、ここに拒絶反応を起こす人が多そうなのだけど、たぶんこれって著者からの「価値観の違いを許容できるか」「想像力をどれだけ働かせることができるか」という挑戦状なのでなないかと思う。
安易に理解・許容する事はできないし、許容できる人もどうかと思うのだけど。
そして、この小説で賛否両論なのはラストシーン。
変人主人公にフツーの友人ができて世の中に折り合いを付けられるようになったかと思ったら、それを突き放すような衝撃の終わり方。
またこれも、西加奈子さんからの挑戦状なんだと思う。
正直まだ僕には付いて行けそうもないし、これを面白いと言い切ることもできないのだけど、これも一つの小説の醍醐味なのかなぁとも思わなくもない。
日常とは全然違う世界を見せてくれるという意味で。
Mr.Children論
萩 家族と一緒に
6/21(日)、家族で萩へ。
僕は、先月萩ツアーに行ったばかりなのだけど、最近長男が少し歴史に興味を持ちだしていて、今が絶好の機会だと思ったので連れて行った(ママと次男はほとんど興味はないのだけど)。
などを観てまわる。
最初に行ったのは当然、松下村塾。僕が長男に感じてほしかったのは、松下村塾の建物の小ささ(見た人はみんな「フーン、こんなもんか」と思う)。でもだからこそ、そこから何十人も政治家・軍人・実業家を輩出したことが凄いのだ、ということ。
2番目に行った大河ドラマ館(旧明倫小学校の体育館)は、ARでしゃべるアニメ絵キャラと、志士判定おみくじ(僕は久坂玄瑞でした)など、女子供でも楽しめる良く出来た展示だったと思う。また、旧明倫小学校周辺には、武道場・水練場(プール)があって、当時の武士の修練風景が想像できて面白い。
ただ、ここら辺りで次男が退屈のあまりプンプン怒り出したので、萩城跡の指月公園へ。お堀や池の亀、沼地のカエル、菊ヶ浜の海を見て、少し機嫌を直してくれた(次男は生き物好き)。
その後、萩城下町を散歩し、萩の町の小ささを実感(桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・小田村伊之助らみんながご近所さん)。僕以外は歩き疲れて、それどころではなかったようだけど...
みんな疲れていたようだが、最後にワガママを言って車で、野山獄(吉田松陰が入れられていた牢屋跡)、涙松(山口へ向かう道で萩の町が最後に見える場所)へ。
ここは、石碑があるだけで他に何もないのだけど、吉田松陰の物語の中では重要な場所。