エッセイ「99%ありがとう ALSにも奪えないもの」感想

99%ありがとう ALSにも奪えないもの (一般書)

99%ありがとう ALSにも奪えないもの (一般書)

 ALS筋萎縮性側索硬化症)は、手足が徐々に動かなくなっていき、最後は脳と顔の筋肉だけ正常なのに体が全く動かなくなるという、現代医学では治療方法の無い1万人に一人の難病。
 僕も父をこの病気で亡くしている。なので、ALSが進行しつつもFacebookやTEDプレゼンテーションなどで活躍している著者の活躍には興味を持っており、このエッセイを読んだ。

 仲間内で人気者で、仕事も優秀だった30代の著者が、数年前ALSに発病。今の病状は、手足が動かず、しゃべれず、食べたり飲んだりも、自力での呼吸も出来ない状態。出来るのは、視線を動かすこと、脳で考えることだけ。栄養は腹に管を挿して流動食を入れることで、呼吸は喉に管を挿して人工呼吸器で酸素を送り込むことで、なんとか生き長らえている。にも関わらず、視線の動きをセンサーで捉えてパソコンで文字を打つ機械を使い、周りの人やインターネットの向こうの人とコミュニケーションすることで、広告プランナーの仕事を週一回出社でこなしたり、ALSの認知度向上のためにメディアに出たり、精力的な活動を続けている。
 この本は、彼の子供時代からの思い出や、ALSになって感じた周囲への感謝・怒りなど、素直な気持ちが書かれたエッセイ。

感じたこと

人工呼吸器を付ける選択について

 ALSにより呼吸が困難になっても、喉に穴を開ける気管切開をして人工呼吸器を付ければ生き続けられる。でも、一度人工呼吸器を付けたら、外した人が法律上殺人罪になるので、70%の患者が最初から人工呼吸器を付けないで窒息死を選ぶらしい。もし、付けた後に呼吸器を外す選択肢が法律で認められれば、気管切開して少しでも長生きすることを選ぶのではないか、人工呼吸器を外した人に罪を問う法律があるせいで、逆に早い段階で自死を選ぶ人を増やしているのではないか、という著者の主張。確かにそういう考え方もあると思う。
 でも、動けず、しゃべれず、食べれず、呼吸できず、という状態になってまで生きたいと思うくらいバイタリティや生き甲斐のある人は稀なのだろう。医療技術と情報通信技術の進歩により、体が動かない病気になっても、生き続けて世界中の人とコミュニケーションを取ることは出来るようになった。でも、人間の精神力が強くないととても耐えきれそうもない。

多様な意見を聞くこと

 命を守るためと言って原発反対している人の家族がALS患者(安定的な電力供給が無いと命の危険がある)と診断されたら、意見がコロッと変わるんじゃないか、という著者の主張も目からウロコだった。事件やニュースに対しては、感情的になって目先のことだけ見るのではなく、冷静に多様な意見を聞いていろんな立場の人がいることを知り、自分の考えを持てるような人間になりたい。

ALSの残酷さと、父が病気になって考えたこと

 ALSという病気の残酷なところは、動かないのは首から下の筋肉だけで脳は正常なため、痛みや意思疎通できないもどかしさは全部 頭で理解できたままというところ。そんな状態だから、一秒も「ほっ」とする瞬間が無く、毎日毎秒神経が張っているのだということ。
 僕の父もそんな状態だったのかと思うと理解してあげたいけど、やっぱり想像できない。僕の父は、もともと家族とあまり会話する人ではなかったし、しゃべれなくなってからコミュニケーション機器の使い方を覚えるITリテラシーも気力もなかった。なので、病室のベッドで父が何を考えていたのか息子の僕にも良く分からない。
 僕が父の病気を通して学んだことは、普段からの家族との会話の大事さ、そして「死ぬこと」とか「生きる価値」について真剣に考える経験を持てたこと。今の僕には、父を反面教師的な捉え方しか出来なくて申し訳ないのだけど。