小説「海辺のカフカ」感想

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

村上春樹作品は「1Q84」「多崎つくる」に続き3作品目。

正直、まだその魅力をあんまり理解できていないのだけれど、なぜ世界中にファンがいるのかを僕も理解したくて読んでみた。

 

あらすじ

章ごとにA面・B面のストーリーが交互に進んでいき、最後に1つの物語に収束する。

A面:家出した中学生(カフカ少年)が高松の図書館で暮らし、そこで出会った人達に影響を受けたり、恋したりして、大人になっていく少年の成長(?)物語。

B面:猫と話せる老人が、不思議な事件に巻き込まれながら四国へ向かい旅するロードムービー的な物語。

 

A面「カフカ少年の物語」

少年の成長物語は好きなジャンルなのだけど、この小説のカフカ少年はあんまり共感できなかった。理由は二つ。

  • 本を多く読んで教養が多いという設定のため、考え方が大人っぽ過ぎ・落ち着きすぎのところ(中学生のくせに)
  • 特に努力せずとも自然な流れで異性に好かれ、性的な関係をあっさり持っちゃうところ(DTのくせに)

一応、叶わない恋・父親への反抗・母親の面影探しなどの少年の成長物語にとって定番の「葛藤」も、あるにはあるのだけど、村上春樹独特のセリフ回しで(僕は勝手に「春樹語り」と呼んでます)悩んでる感情を比喩や小難しい言葉を使って表現するので、「ホントにこの子悩んでるのかな」って思ってしまうのだ。

 

でも、カフカ少年とメンター的存在の大島さん(「春樹語り」の師匠みたいな人)との会話は、面白く読めた。彼らの話は唐突に、文学・クラシック音楽・哲学・歴史など、いろんなジャンルを飛び回って進んでいく。(そして、なぜかカフカ少年も大概のことは知っている。)現実にこんな人達がいたら、相当うっとうしいことでしょう。

 

ストーリーは、妄想と現実が曖昧な話や、謎・伏線らしき要素が出てくるにもかかわらず、例によって謎のまま終わる。伊坂幸太郎の小説(彼も村上春樹に影響を受けた作家だと思いますが)を以前よく読んでいて、緻密に張った伏線を最後に綺麗に回収する爽快さが好きだったので、村上春樹作品のラストのモヤモヤ感にはまだ慣れない。ハルキストの方はこれがイイんでしょうけど...

 

B面「ナカタ老人とホシノ青年の物語」

一方、B面の話の主人公は教養とは無縁の2人(字が読めず人のいいナカタ老人と、ヤンキー上がりトラック運転手のホシノ青年)。彼らの物語は、A面の高尚な話とは違ってホノボノしており、楽しく読めた。

 

物語も、ロールプレイングゲーム的な宝探しみたいな話であり、次の展開どうなるんだろう、っていう時に章が終わってA面に切り替わるので、どんどん読み進められた。たぶん、読者にアンケート取ったら、A面よりもB面の方が人気あるんじゃないだろうか、と思う。無教養の2人が主人公というのも、村上春樹作品では異例のことだろうし。

 

そして、もしかしたらこの小説のテーマの一つは、B面ストーリーのラストでホシノ青年が感じた以下のようなことではないだろうか。

クラシック音楽や本に興味の無かったホシノ青年は、ナカタ老人との冒険の中で、ベートーヴェンの音楽・生涯に触れることを通し、教養の大事さ・それを他者と語らうことの楽しさに気付く。

教養とは自分の世界を広げること。村上春樹はそれを読者に勧めているのではないかと感じた。

 

僕も40歳になり、今まで興味の無かった文学作品など、読んでみたいと思う本が山のように出てきた。そして、音楽・絵画・哲学・歴史など、教養のある人間になりたい、とも感じる。

僕も今、ホシノ青年と同じ段階に立っているのだと思う。