アニメ映画「PSYCHO-PASS」


アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」

 

 SFアニメ映画「PSYCHO-PASSサイコパス)」観賞。
 昨年、深夜TVアニメで放送されていて、その内容の奥深さにハマったので、同好の士と共にリバーウォークへ。

 

 作品説明すると、舞台は22世紀の未来。シビュラシステムというマザーコンピュータ的なシステムに全てを管理された世界で犯罪を取り締まる刑事たちの話。

 

 自分としては以下の点に魅力を感じ、毎週楽しみに観ていた。

 

政治哲学的命題を与えてくれる世界観設定

 「人間性」を犯罪係数という数値で測り、閾値を超えたら犯罪を未だ犯していなくても逮捕・射殺されるという世界観(「マイノリティ・リポート」と似てる)。恐ろしいと思う一方、それで犯罪が減るのならアリなのかもと思う自分もいる。

 サンデル教授の「ハーバード白熱教室」で出てきた、哲学者ベンサムの主張する「功利主義」「最大多数の最大幸福」の正当さと気持ち悪さを実感を持って感じさせられ、「正しさとは何か?」「より良い社会システムのあり方とは?」を深く考えさせられる。

 

価値観の逆転

 作品世界では、システムに進路・就職先・結婚相手を選択してもらい、それに従う主体性の無い人間が「優れた市民」とされる。「数十年前は、自分の意思で進路を決めなくてはならなかったなんて信じられない」というセリフも登場し、この時代の一般人は、僕ら現代人の感覚と違うのだということに気付かされる。

 一方、この世界の犯罪者は、そのような家畜のような人生に疑問を持った者たち。物語が進むにつれて、犯罪者の価値観の方が、現代人に近いということが分かって来る。このように、物語の途中で善悪・好き嫌いの価値観の逆転が起こるところが僕好み。

 

白黒つけない灰色な結末

 「平和・秩序」を提供する支配者に対し、「人間らしさ・自由」を求めて闘って倒すというSF作品はこれまでも多くあるのだけど、この作品の主人公がラストで選ぶ選択肢は、ある意味、システムとの共存・共犯関係。敵をやっつけて「めでたしめでたし」で終わらないのだ。白と黒どちらでもない灰色の結末という点に、リアリティーを感じる。

 

----------ここから映画ネタバレ感想----------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画は、東南アジアの国シーアンに、日本がシステムを輸出する話。
 TV版ほど、あれこれ考えさせられる内容では無かった気がするが、登場人物同士の数年ぶりの再会や、派手なアクションシーンなどを堪能できる、ファンサービスに力点を置いた作品になっていたと思う。

 

 僕はアクションや軍事兵器シーンが出てくるにはあまり興味は無いので、一番グッと来たシーンは、やはり第1期ラストで失踪した狡噛関連のシーン。

 特に、朱が狡噛の追跡・処分を宜野座に任せるところ。朱って、何でも自分一人で解決しようとするんじゃなくて、適材適所で部下に任せる理想のリーダーになったんだなと感じて、頼もしさの半面、少しさびしくなった。
 その後、宜野座があっさり狡噛を逃がしてしらばっくれるところも良かった。彼も真面目で要領悪い人間から、だいぶ成長したのだろう。

 

 あと、映画ラストの解釈について。
 朱は、シーアンのハン議長に対し「法の尊さ」「歴史への敬意」を持ち出して説得し、国家元首を決める選挙をさせるのだけど、選挙した結果、当選したのはハン議長。
 これを「選挙した意味ないじゃん」と解釈するのは間違いだと思う。これまで自由選挙したことのなかったシーアン国民は、投票する際に少しは国政について考えるようになったんじゃないだろうか。発展途上国における自由選挙って、国民と政治家を成長させるための教材のようなものなのだと思う。結果は同じでも、選挙をするというプロセスが大事なのだ。